いちばんになれないことが確定した日

私は小さいころ人見知りが激しくてきっと姉妹の中で一番手のかかる子だったと思う。

一人で行動できない分母が隣にいてくれる時間が多かったと大きくなった今はそう思うが、小学生の時はそう思えなかった。

 

姉はいつも新品を買ってもらえるのに私は姉のおさがり。

なのに妹は新品をかってもらえる。

妹におさがりがまわるころにはもう色あせて着れなかったり、二歳しか変わらない妹とリコーダーなどの使用時期が被るから。

 

私はお裁縫道具も、彫刻刀も、絵具セットも、姉のおさがりで友達とおそろいのデザインを持つことができなかったのに妹は友達とおそろいのぴかぴかの道具を使う。

 

もともと小さいころから妹に対して劣等感があったんだと思う。

人懐こくて友達がたくさんいる妹と比べて、人見知りで人前に出ると緊張で話せない、人に心を開くのも時間がかかる自分のことが好きじゃなかった。

 

真ん中っこは親を独り占めした時間が少ないから親から愛されていることに気づきにくいと、どこかでそんな記事を見た。

 

確かにそうだと思う、どんな時も妹優先な上に姉は反抗期で毎晩親ともめていたから必然的に私は一人で過ごすことが多かったし、一人でできる時間のつぶし方が上手になった。

 

確か私が小5、妹が小3の夏だったと思う、親のいちばんになれないことが確定した日。

 

妹が知的障害だと判断された。

 

知的障害と言ってもほんとに軽度、どうして親は障害か疑ったのかはわからないくらい今まで普通の子として過ごしてきた妹がある日突然障害者になってしまった。

 

妹が祖父の家に泊まりに行った夜、親から

『妹は知的障害という、障害をもってるの。障害といってもほんとに軽度だし手帳も必要ないくらい。お勉強がほかの子より少し苦手なの。だけど今まで通りにいつも通りで大丈夫だよ。』

そういわれた、きっとこれから両親は妹の障害について沢山勉強してサポートするんだろうなぁとぼんやり考えていた。

 

軽度だし両親は今まで通りにと言っていたから自分はあまり気にすることなく、日常を過ごして大丈夫だとこの時は思っていた。

 

翌日から両親は変わってしまった。私にはいつも通りにって言ったのにいつも通りじゃない日が続いた。

 

洗濯物を取り込んだ後の母に

『あなたは自分で洗濯物たためるでしょ。自分のことは自分でやり。』

昨日まで母が畳んでくれていたお洋服は私の分だけ床の上に置きっぱなしで放置されていた。

 

母がいつも通りでいいといったのに、いつも通りじゃなかった。

母と同じ趣味を持ちたくてはじめた刺繡も、唯一の二人きりの時間のお料理している母とカウンター越しにおしゃべりすることもこの日からやめた。

 

ある日突然

あなたは妹と違って健常者だからかまっている暇はない。

そういわれるのが怖かった。

 

これから先どれだけ努力しても両親のいちばんになれない。

きっとどれだけ賢くなって東大に行こうが、アイドルになれたとしても

両親にとって最優先は妹なのだろう。

そう思った。